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Thomas,Wohin Farhen Sie,denn?気力・体力は減少気味,睡眠時間は長くしないと持たないです。人生は「誤解と錯覚」ですがやりたいことはやっておかないと!


by gentas
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タグ:内藤廣 ( 3 ) タグの人気記事

内藤廣

3/21
昨日まで内藤廣さんの展覧会がギャラリー間で開催されました。
http://www.toto.co.jp/gallerma/ex140118/

いろいろなところで新国立競技場コンペ審査の話を聞かれますが、審査員であった内藤廣さんもさぞや予想外?の質問に閉口していることでしょうね。

ご本人の実績や性格を知っている立場としては、審査プロセスを
論理的に説明することは困難”であることだろうと思います。

あまり公表することではありませんが、私がお願いし構成した私的審議会や勉強会でも”こういう回答をしてくれる、大きな主張をしない、有名な先生”が求められます。選出された時点でコンペは決まっていることが多いでしょう

確か、磯崎新さんやジャンヌーベルさんも同じようなことを言っておられました。すなわち審査員を見て内容を変える、何度もたたかれて、落とされて勝ち方を覚えていくと。

でも、あえていえば、それに付加して”そのコンペがどういう意味を持つものか”を考えると自ずと分ってくるはずです

※展覧会はごくごく普通の内容で大学教授であった先生の成果が整理されていました
by gentas | 2014-03-23 15:24 | Town Walking

忘年会

ふりかえると、
忘年会は仕事の延長、ぐらいとしか認識せず参加していた気がします。

しかし、最近ではむしろ正反対に、仕事を離れた個人的な会合がだんだんと増え、仕事関係についてはできる限り回避しがちです。

そういう点では、はるか昔日の、学校の仲間との会合は
」の自分が表現できる貴重な会合であり、実に気楽な会合です。

「君のさっきの発言はおかしいのではないか」とか「あの話をしていいのかね」、あるいは「君は批判的な姿勢だ」などといった揚げ足取りは一切ありません(よね?)そういえば、メールアドレスはわかっているので、名刺交換もあえてする人はほとんどいなかったようです。

実に、ゆる~い感じですね。
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※冷静に考えると、研究室を内容の怪しげな修士論文を出してから初めての忘年会です(31年ぶり?)
出席者との語らいは、30分もいれば当時のままの雰囲気に戻るから実に不思議です。

多くは、上下の関係なく、名前しか存知あげない人でも、過去の思い出や近況、更には将来の予定、大学教師になったぞ、からこれから学生に戻るぞ、といった実に渾然一体な話題でした
※母校の教育成果にやや失望している意見もあり、愛情あるものの厳しい評価を受けるなど時代の流れを感じました。

また、先生のご子息が運営するカフェが来年3月で閉鎖されることを知り、災い転じて福となり、拡大OB会を開こう、といった話がでたのは新年に向けてたいへんいいことでした。
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by gentas | 2011-12-23 14:49 | Urban Design

吉阪隆正賞

8月27日、何故か死後30年経っているのですが
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※吉阪さんを知らない人は下記wikipediaを参照下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%98%AA%E9%9A%86%E6%AD%A3
吉阪隆正賞
を創設するから寄付しろ、というので早稲田大学に行ってみました。
※しばらく行かないうちに、理工学部はすごく綺麗になっていました。びっくりです。こんなことなら娘の進学を反対するんじゃなかった。。。

厳しくいえば、あいかわらずマネジメントのない、よくいえば自由闊達な司会まわしで選考委員の紹介やら、意味などをいっていました。しかしながら参加しておきながら思うのは、やはり大学というところは社会から遅れていて、あいかわらずワセダは「先生2流、学生1流?」だったという印象でした。学生の熱意や意思はよくわかりましたが吉阪OBや主催者はなんだかダラっとしていましたねえ。
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私にとって得られた収穫は次のとおり
1)東大の内藤先生、もう60才だって?ウソー
2)あちこちの他大学生もたくさん来ていて、さすがワセダらしい「敷居の低さ」だなあ
3)吉阪さんの弟子はせいぜい5%(ほとんどは会ったこともない若者なのでよろしい!)
4)やっぱりみんな「吉阪さんはわからないけどおもしろい」と思っていたことを再確認


しかし

やっぱり、彼、
吉阪隆正とはいったいなんだったのかという疑問は残ります。
尻尾の存在」の私は、今でもわかりません。
吉阪さんから生まれていった
象設計集団やU研も活動は飛散し、分散し、そして世代交代しました※いまや、中核の人たちの多くは鬼籍か病院か歴史の教科書の中に鎮座しています。
私にとって、一番元気だった重村さんが神戸大学にうつり、藤井東洋大学部長も他用で欠席と、なんだか

餡のない饅頭のような雰囲気でした。内藤さんが孤軍奮闘し、東大教授らしくまじめに治めようとしていたようです。
※司会者が吉阪スクールなどという表現をしていましたが、確か川添さんだったか(あれ、自信ないなあ)の本で”スクールというものがないのが吉阪グループの特徴”と何かに書いていたのを思い出します。従って、何故司会者がそのようなことがいえるのか訝ります。何か意味があるのでしょうか?
漫然とした”出身者”を英語が得意らしい彼がそう表現したのでしょうか?
これがガッコウの先生のすごいところ、あるいは不幸というのでしょうか?

PS.Mさん、これでどうでしょう?
by gentas | 2010-08-28 11:45 | Urban Design