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Thomas,Wohin Farhen Sie,denn?気力・体力は減少気味,睡眠時間は長くしないと持たないです。人生は「誤解と錯覚」ですがやりたいことはやっておかないと!


by gentas
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崇徳天皇

本を読んでいたら「崇徳天皇の悲劇」のような話がありました。日本史における秘話、血で血を洗う抗争の後島流しにあい、普通は何年かして帰ってきたのに謀反人と烙印を押され怨念の中で死んでいった、と解説にあります。

あれ?そんなロマンチックな話でしたっけ。
帰ってから人名辞典を読むとなるほどそう書いてあります。しかし時間軸で整理して読むと話はだいぶ違うのではないでしょうか(気になったのは、高校生の頃の記憶と違うからです。その講師は大学講師を兼任し、興味のない話は端折る基礎学力をつけるべき受験生にとってはとんでもない講師でした。従って、私の歴史の知識はいまだに非常に乏しいです)

手元の人名辞典の記録を本人の時間軸で整理すると、(本人が)4才で天皇として即位、13才で親である鳥羽上皇に退位させられる(新天皇は鳥羽上皇と美福門院得子との子:すなわち異母弟である近衛天皇)、35才の時近衛天皇が崩御したので自分の子を天皇にしようとしたが、鳥羽法皇に邪魔される、翌36才の時鳥羽法皇が崩御した時、今度こそはと部下と挙兵によって主張をとうそうとしたが、反乱軍は1日で全滅。本人は讃岐に島流しとなり、44才で京に戻ることなく客死する。※写真はご本人だそうです
a0020434_23125516.jpgなんと、崇徳天皇が即位したときの鳥羽上皇は20才!当時は数えで記録していたとしたら18才かもしれません。ということで崇徳天皇自身が白河天皇(ひいおじいさん)の子であった、と記録されています。

整理してみると、なんのことはない世襲したトボけかたは○朝鮮の△正日と同じじゃないですか。「統治」という概念を身に付ける前にかたちとして天皇になっていたので、「あとの人生はこれを守るだけ」なのでしょう。従って、本人の意思というよりそれにたかっている周囲の老人たちの意思が常に動いているのでしょうね。そのように読み替えると、なんだかロマンや悲劇というよりバカバカしい唯我独尊、あるいは傀儡政治の話でしかありません。(がさつな表現で失礼します。不敬罪って今ないですよね?ちょっと心配ですが本の内容の横倒しですからね、念のため)

日本中に菅原公同様に崇徳天皇の魂を慰める神社がたくさんあるようですが、こんな背景だったのかと思います。でも古のロマンという点では興味はつきません(意外と歴史も年表を見直すとおもしろいものですね)
by gentas | 2006-10-22 23:13 | Recommendation