若冲
2006年 08月 17日
日々生きるということは発見も多く楽しいこともあるのですが、「こんなこともできないのか、こんなことも知らないのか」と挫折と虚しさが押し寄せてくるのも事実です。
九段下の合同庁舎まで用事があったので「有楽町からだと。。。ああ乗り換えが面倒だし、昼だから歩いていこう!」と猛暑も忘れて歩いていきました。大気が不安定だとかでもうもうとした高湿度の中でしかもスコールもあったりしたのでついたときには「汗なのか雨なのか」わからないくらい水をかぶったようになりました。用事は予想外にすぐ終わったので、帰ろうとしたのですがまたまた「まあ来れたのだから歩いていくかあ」と歩いていくとパレスホテルの前に、なんだかガイジンさんたちが大勢大手門の方に歩いていきます。「はて?何かあったかな。」
入っていくと「三の丸尚蔵館」がありました。無料です。確か以前みたい展示があったのですが忙しさにかまけすっかり失念していました。今日は「花鳥ー愛でる心、彩り技ー若冲を中心に」展をやっていました。
わざわざ何人も係り人を配備している割には非常にコンパクトな展示でした。しかも、猛烈にクーラーが効いていたので珍しくじっくりと見ました。しかし一番目を引いたのは、狭い会場なのに最も大きな「円山応挙」の牡丹孔雀図でした
外人さんたちは、予想に反して?特に関心を抱かず、数名の女子中学生が一生懸命にメモを取っていたり、中年女性が本や絵葉書を買い求めているくらいでした。
「若冲」は今、何故かいろいろな場所で展覧会をしているようです。webで見ると、東京では「ホテルオークラ」や「東京国立博物館」で展覧会が開催中のようです。どうも「描写表現が素晴らしい」らしいのですが応挙のストレートさに比べると私の知識や視力では判然としませんでした。むしろごてごていたような感じでしたが、展示上の失敗なのかもしれません。
そして、ギャラリーにある「動植糸絵30幅」という絵ハガキも暗闇の中でもあまり美しいクオリティではないように思いました。想像するにきっとお土産ものに慌てて、お手ごろ価格で作ったのでしょう。若冲の絵の密度や彩色を再現しているレベルには感じられませんでした。
しかし、稀代の天才画家であることを否定するものではありません。むしろすずんでいる間に、なんでも錦小路のぼんぼんだったのが災害にあい、晩年は身ひとつで伏見石峯寺あたりに転がりこみ、そこで石仏の下書きをした、というのがおもしろそうでした。京都にいくとき知っていたら寄ってきたのに。
なお、そのお寺さんも火事にあったりして、本当ならば襖絵とかも残っていたのかもしれませんが、石仏だけが残っているようです(下書きをした、のが事実かも分からないようですが)
九段下の合同庁舎まで用事があったので「有楽町からだと。。。ああ乗り換えが面倒だし、昼だから歩いていこう!」と猛暑も忘れて歩いていきました。大気が不安定だとかでもうもうとした高湿度の中でしかもスコールもあったりしたのでついたときには「汗なのか雨なのか」わからないくらい水をかぶったようになりました。用事は予想外にすぐ終わったので、帰ろうとしたのですがまたまた「まあ来れたのだから歩いていくかあ」と歩いていくとパレスホテルの前に、なんだかガイジンさんたちが大勢大手門の方に歩いていきます。「はて?何かあったかな。」
入っていくと「三の丸尚蔵館」がありました。無料です。確か以前みたい展示があったのですが忙しさにかまけすっかり失念していました。今日は「花鳥ー愛でる心、彩り技ー若冲を中心に」展をやっていました。
わざわざ何人も係り人を配備している割には非常にコンパクトな展示でした。しかも、猛烈にクーラーが効いていたので珍しくじっくりと見ました。しかし一番目を引いたのは、狭い会場なのに最も大きな「円山応挙」の牡丹孔雀図でした
外人さんたちは、予想に反して?特に関心を抱かず、数名の女子中学生が一生懸命にメモを取っていたり、中年女性が本や絵葉書を買い求めているくらいでした。
「若冲」は今、何故かいろいろな場所で展覧会をしているようです。webで見ると、東京では「ホテルオークラ」や「東京国立博物館」で展覧会が開催中のようです。どうも「描写表現が素晴らしい」らしいのですが応挙のストレートさに比べると私の知識や視力では判然としませんでした。むしろごてごていたような感じでしたが、展示上の失敗なのかもしれません。
そして、ギャラリーにある「動植糸絵30幅」という絵ハガキも暗闇の中でもあまり美しいクオリティではないように思いました。想像するにきっとお土産ものに慌てて、お手ごろ価格で作ったのでしょう。若冲の絵の密度や彩色を再現しているレベルには感じられませんでした。
しかし、稀代の天才画家であることを否定するものではありません。むしろすずんでいる間に、なんでも錦小路のぼんぼんだったのが災害にあい、晩年は身ひとつで伏見石峯寺あたりに転がりこみ、そこで石仏の下書きをした、というのがおもしろそうでした。京都にいくとき知っていたら寄ってきたのに。
なお、そのお寺さんも火事にあったりして、本当ならば襖絵とかも残っていたのかもしれませんが、石仏だけが残っているようです(下書きをした、のが事実かも分からないようですが)
by gentas
| 2006-08-17 22:32
| Town Walking