地井昭夫
2012年 05月 08日
「君、大学院に行きたいんだって?だったら東工大青木研に行きなさい」
吉阪隆正先生に進学相談に行ったとき、何がしたいとか成績はどうかなどの説明をしない内に開口一番言われたことを今でもよく覚えています。※今になって、先生の発言が私を排除するものでも冗談でもなく、実に有難い助言だったなあ、としみじみ思います。因みに、青木研究室に顔を出したら非常に歓待されました。
当時の吉阪研究室は、まだ人気が高く特に外部の大学から受験したり、研究生として出入りする人もいて
競争率5倍、東大建築計画研究室などは何年も浪人している人がたくさんいる、などとウブで世間知らずの我々を恐怖に落とすような噂が飛びかっていました。
当時でさえ、将来の展望がそれほどあるといえない大学院に、何故浪人してまで進学しようとするのか?そんな魅力あるのか、実は思い込みではないかなどと多いに悩んだものです。
さて
来るな、と言われたので進学すると、研究室は自由気ままです。ぼんやりした環境でしたが、すでに著名な設計者や学者となられた、なんとも威圧感ある先輩諸氏を中心に毎日頻繁に研究室を出入りしていました。その中の一人が
地井昭夫先生でした
いっぱしの設計デザイナーきどりの大学院生を、まるでを空気のように相手せず、地井先生は農山漁村問題を真摯に説き、早々と大学での職を得られて研究者としての道を歩まれました。
ただ非常に残念なことに、東京から離れた金沢や広島の大学が拠点だったので学会などでしかお会いする機会なく、それらに素人同然の浅学者である我々はあまりご指導いただくことはありませんでした。また、フィールドワークを重要視されたからではないでしょうが、たくさんの論文はあってもまとまった著書などはあまりなかったようでした。
このほど、地井昭夫先生のご遺族や遺構集刊行会のご協力ご支援により、工作舎から遺構集が刊行されることになりました。ご興味あるかたはお申込み下さい。
※東日本大震災で、海に囲まれた国であることを再認識したものの、頼れる研究者や研究が非常に少ないことに気付きました。本書は貴重な資料に必ずやなるものと思います。
「漁師はなぜ海を向いて住むのか?」
吉阪隆正先生に進学相談に行ったとき、何がしたいとか成績はどうかなどの説明をしない内に開口一番言われたことを今でもよく覚えています。※今になって、先生の発言が私を排除するものでも冗談でもなく、実に有難い助言だったなあ、としみじみ思います。因みに、青木研究室に顔を出したら非常に歓待されました。
当時の吉阪研究室は、まだ人気が高く特に外部の大学から受験したり、研究生として出入りする人もいて
競争率5倍、東大建築計画研究室などは何年も浪人している人がたくさんいる、などとウブで世間知らずの我々を恐怖に落とすような噂が飛びかっていました。
当時でさえ、将来の展望がそれほどあるといえない大学院に、何故浪人してまで進学しようとするのか?そんな魅力あるのか、実は思い込みではないかなどと多いに悩んだものです。
さて
来るな、と言われたので進学すると、研究室は自由気ままです。ぼんやりした環境でしたが、すでに著名な設計者や学者となられた、なんとも威圧感ある先輩諸氏を中心に毎日頻繁に研究室を出入りしていました。その中の一人が
地井昭夫先生でした
いっぱしの設計デザイナーきどりの大学院生を、まるでを空気のように相手せず、地井先生は農山漁村問題を真摯に説き、早々と大学での職を得られて研究者としての道を歩まれました。
ただ非常に残念なことに、東京から離れた金沢や広島の大学が拠点だったので学会などでしかお会いする機会なく、それらに素人同然の浅学者である我々はあまりご指導いただくことはありませんでした。また、フィールドワークを重要視されたからではないでしょうが、たくさんの論文はあってもまとまった著書などはあまりなかったようでした。
このほど、地井昭夫先生のご遺族や遺構集刊行会のご協力ご支援により、工作舎から遺構集が刊行されることになりました。ご興味あるかたはお申込み下さい。
※東日本大震災で、海に囲まれた国であることを再認識したものの、頼れる研究者や研究が非常に少ないことに気付きました。本書は貴重な資料に必ずやなるものと思います。
「漁師はなぜ海を向いて住むのか?」
by gentas
| 2012-05-08 17:07
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